宇梶剛士VS1000人の暴走族!最強伝説はここからはじまった
渋くてダンディでカッコよくてと評判の素敵すぎる俳優の宇梶剛士さん。
現在の穏やかな雰囲気とは裏腹に、若い頃は相当のワルだったのは有名な話です。
その最強伝説がヤバすぎるってことで、宇梶剛士の若い頃の最強伝説を語りたいと思います。
プロフィール
本名:宇梶 剛士(うかじ たかし)
生年月日:1962年8月15日
出身:東京都新宿区
身長:188cm
血液型:B
高校:拓殖大学第一高等学校を中退、明治大学付属中野高等学校定時制を卒業
生まれた時からとても体が大きく、すくすく育った宇梶剛士さん。
高校では野球に打ち込んでいましたが、暴力事件を起こして鑑別所へ。
出所後は高校を中退して荒れた生活となりましたが、
少年院に入所後に改心して定時制高校を卒業。
俳優を目指すようになった宇梶さんは、18歳で錦野旦さんの付き人になりました。
その後、美輪明宏さんと出会い、『青森県のせむし男』で初舞台に立ちました。
その当初は『津村浩』という芸名で活動していましたが、後に本名に改名しています。
宇梶さんが元ヤンキーだというのは有名な話ですが、なぜそうなってしまったのか気になりますよね。
親との確執から非行に走る
実は親との関係が原因にはあるようです。
宇梶さんの母親は宇梶静江さんといって、アイヌの詩人で古布絵作家です。
そしてアイヌの民族運動家でもあるんですね。
静江さんは北海道で、アイヌということが理由で就職差別を受けたそうです。
20歳で地元北海道から上京し、29歳で宇梶剛士さんを出産したのですが、
剛士さんが小学生の時に自身の経験を生かして、新聞に「ウタリたちよ手をつなごう」を投稿しました。
そして翌年には東京アイヌウタリ協会を創立して会長になっています。
なんとか自分と同じ悩みを持ってる人が救われるように!と頑張っていたのでしょうが。
多忙を極めた静江さんは、家を空けることが多くなってしまいました。
それが原因の一つとなり、宇梶剛士さんは荒れた生活を送るようになっていったようです非行に走る人の理由によくある話です。
『親が家にいない』
寂しいのだろうな、と思います。
きっと『自分を見て!』っていう合図送っていたのではないでしょうか。
宇梶さんも例外ではなく、お母さんに叱ってほしかったんじゃないでしょうか。
しかも野球に打ち込んでいた宇梶さん、
高校では甲子園を目指していたものの部内のトラブルで何か月もボールを触らせてもらえなかったとか。
耐え切れなくなった宇梶さんはストレスが爆発し、暴力事件を起こしてしまいました。
宇梶さんは少年鑑別所へ入所することとなり、野球部は大会出場停止に。
結局、鑑別所から出所した後に高校を中退してしまいました。
暴走族チーム『ブラックエンペラー』での武勇伝
そして更生のためにと北海道へ移るも、すぐに戻って友達がいる
暴走族チーム『ブラックエンペラー』に所属することとなりました。
ブラックエンペラーに所属していた時には、数々の武勇伝を作っています。
ケンカが強く統率力もあった宇梶さんは、17歳で総長になりました。
仲間からの信頼が厚かった宇梶さん。
「普段は優しいし自分からは手は出さないけど、卑怯な奴は許さない。
ブチ切れると死ぬほど怖い!」と語り草になっています。
でも一番有名な武勇伝と言えば、宇梶さん一人で1000人を相手したという伝説!!
200~300人で湘南を走っていた時の事。
その途中、他のチームと揉め事になったのですが、相手チームは1000人ほどいたそうです。
仲間は圧倒的な人数差にビビッて逃げたそうですが、
宇梶さんだけは向かっていったそうです。最初の20人ほどを倒すと、
相手チームのメンバーが逃げていったそうですが・・。
圧倒的な強さだったのでしょう。
本当に相手チームが1000人もいたのかは分かりませんが、
一人でも向かっていったというのはビックリしちゃいますね。
そんな強い宇梶さんを本職の方々も放っておくわけがなく、
反社会的組織の団員にとスカウトされたそうですが、宇梶さんは断固拒否。
さらにイケナイお薬も万引きなんかも大嫌いということで、一切しなかったそうです。
昔でいう硬派のヤンキーということですかね。
結局、暴力沙汰で少年院に入ってしまいますが、
そこで母親からもらったチャップリンの自伝を読んで改心。
俳優を目指すきっかけになったとのことです。
でもその当時の伝説を自慢げに語るタレントさんよりも、申し訳なさそうに、
でも体験談を隠さず語る宇梶さんには好感が持てます。
鼻高々に話すタレントさんは多いですが、そういう方よりも個人的には好きです